大浦天主堂

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国宝かつ世界遺産!東洋の奇跡と呼ばれた信徒発見の舞台

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に住む外国人のために建設されたゴシック調の教会で、1864年(元治元年)に竣工され、現存するキリスト教建築物としては日本最古のものです。

正式名を「日本二十六聖殉教者天主堂」といい、26聖人が処刑された長崎駅近くの西坂の丘に向けて建てられています。

この教会には、「東洋の奇跡」と呼ばれた話が残っています。

大浦天主堂が建って間もないある金曜日(1865年3月17日(元治2年2月20日))、表面は仏教徒を装いながら内にはキリストへの厚い信仰をもって約250年という長い期間潜伏していた浦上村の男女10数人が門の前に立っていました。
プチジャン神父が教会の中に招き入れると「わたしたちの心、あなたと同じ」と告げ、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねました。
プチジャン神父は大喜びで彼らをマリア像の前へ導いたのだといいます。

この御像は以来『信徒発見のマリア像』と呼ばれるようになり、今も向かって右側の脇祭壇に飾られています。

こうやって日本にはいないと思われていたキリスト教徒が250年の時を超えて、キリシタンとして長崎に潜伏していたことが分かったのです。
このニュースは当時「信徒発見」として世界中を駆け巡りました。
当時のローマ教皇ピウス9世はあまりの感激に「東洋の奇跡」と呼んだそうです。

現在も、そして創建当時の大浦天主堂の写真を見ても、正面には『天主堂』と日本語の文字が掲げてあります。
もともと大浦天主堂は、外国人居留地に住む外国人のために建てられた教会であり、大浦天主堂が建てられた頃は、禁教のため日本人信徒はいませんでした。
それなのに日本語の文字が掲げられていたのは、日本での再布教を念願していたローマ教皇庁が、開国後に聖地である長崎に26聖人に捧げる新しい聖堂を設立すると共に、布教を再開し、できれば日本人信徒を再発見することを望んでいたからなのです。
つまり『天主堂』という日本語の文字は、もしかしたら存在するかもしれない日本人信徒へのメッセージだったのです。
そしてその意図に応えるかのように浦上村の潜伏キリシタンが発見されたという訳です。

更にこの話を続けると、200年以上もの間、弾圧や迫害に耐えながら、ひそかにキリシタンの教えを守り通してきた浦上村の潜伏キリシタンは、教会もなく、パードレ(神父)もいない状況の中で、「三つの伝承」が信仰のよりどころとなっていました。

  1. 七代経ったらパードレ(神父)様がローマから船でやってくる。
  2. そのパードレ(神父)様は独身である。
  3. サンタ・マリアの御像を持ってやってくる。

この「三つの伝承」は子から孫へと途切れることなく伝えられていたというから驚きです。

この奇跡に立ち会ったプチジャン神父の亡骸は、現在も大浦天主堂の下に眠っています。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあり、とても厳かで心が洗われるようです。

この大浦天主堂は、1953年(昭和28年)、国宝に指定されました。
また、大浦天主堂を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、2018年(平成30年)に世界文化遺産に登録されています。

また、世界文化遺産登録に合わせて、隣接する旧羅典神学校と旧長崎大司教館を整備し、キリシタンの歴史を伝える博物館としてオープンしました。
館内では、日本におけるキリスト教の伝来から、江戸時代を中心とした禁教の歴史について、資料で詳しく知ることが出来ます。

ライトアップされて浮かび上がる夜の大浦天主堂も綺麗ですよ!

基本情報

住 所〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
電話番号095-823-2628
拝観料大人1,000円、中高生400円、小学生300円
※拝観料には「大浦天主堂キリシタン博物館」の入場料も含む
※20名以上は団体割引あり
内覧時間通常
8:00~18:00(最終入館は17:30まで)
冬季(12/1~3/31)
8:30~17:30(最終入館は17:00まで)
休 日年中無休
H Phttps://nagasaki-oura-church.jp/
アクセスJR長崎駅前から路面電車(崇福寺行に乗車し新地中華街電停で乗換えて石橋行に乗車し大浦天主堂電停下車)利用20分、徒歩5分

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