平和を祈る場所
昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、長崎市松山町の上空約500mで広島につぐ人類史上2番目の原子爆弾が炸裂しました。
中心から1km以内の死亡率は実に88%、73,884人が死亡、74,909人が負傷しました。
長崎を訪れて、是非考えていただきたいのが、戦争の愚かさと平和についてです。
原爆落下中心地の北側の小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。
爆心地の松山町では、被爆当時約300世帯、約1,860人が暮らしていました。
空襲時の退避所として、長崎刑務所浦上刑務支所がおかれていた丘(今の平和公園)の南側の崖を利用して町内会により数ヵ所の防空壕が掘られていました。
しかし、原爆投下時は空襲警報が解除中だったため、町民は避難の暇もなく、壕の1つで遊んでいた9歳の少女だけが町内唯一の生存者となりました。
この場所は爆心地から約120mにあたり、少女は広島、長崎を通じ爆心地から最も近い距離での生存者と言われています。
平和公園の入口からエスカレーターで登ったところにあるのが平和の泉です。
水を求めて亡くなった犠牲者の霊を慰めるために昭和44年(1969年)に建設され、平和の鳩と長崎の鶴の港を象徴し、翼を広げた形に水を噴き上げています。
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。
その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて作られています。
正面の黒い碑には、当時9歳だった少女の手記が彫り込まれています。
「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
この平和の泉は、毎年平和祈念式典で行なわれる献水用の水の採取場所となっています。
平和公園の一番奥にそびえているのが、青銅製で、高さ9.7m、重さ30tの平和祈念像です。
長崎県出身の彫刻家 北村西望氏の作品で、被爆10周年にあたる昭和30年(1955年)に完成しました。
天を指す右手は「原爆の脅威」、水平に伸ばした左手は「平和」、閉じた目は「犠牲者の冥福への祈り」を意味しています。
北村西望氏は、像の名称を決める時、単に原爆が投下された記念の碑ではなく、被爆地長崎が平和を祈り、世界に訴えていく意味をこめて「祈念像」と名付けたそうです。
毎年8月9日には、本像の前面で平和祈念式典が執り行われ、全世界に向けて平和宣言が発信されます。
平和公園の周辺には、被爆当時の遺構がいくつか残っているので、それらをめぐりながら平和を考えるのもおすすめです。
基本情報
住 所 | 〒852-8118 長崎県長崎市松山町 |
電話番号 | 長崎市中央総合事務所 地域整備1課:095-829-1164 |
アクセス | JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)で「平和公園」下車、徒歩3分 |
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